都七福神~毘沙門天~東寺のこと


都七福神の毘沙門天は、東寺にあります。

毘沙門天とは?

毘沙門天は、仏教における天部の仏神です。

持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神であり、四天王では「多聞天」として表わされます。

また、独尊の場合は、「毘沙門天」と呼びます。

 

形像は,甲冑を着る武神像で,左手の掌上に宝塔をのせ,右手に宝棒を持ち、二体の邪鬼を踏みつけています。


北方の守護神で、室町時代末期には日本独自の信仰として七福神の一尊とされ、

江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとされています。


また、戦闘の神として、武人たちの厚い信仰を得ていました。

東寺

正式には、「教王護国寺」(きょうおうごこくじ)といいます。
「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されています。

真言宗の総本山で、本尊は薬師如来です。

創建は796年で、平安遷都とともに、建立された、国立の寺院です。

平安京の正門にあたる羅城門の東西に「東寺」と「西寺」という2つの寺院の建立がされました。

これら2つの寺院は、平安京の左京と右京を守る王城鎮護の寺、

さらには東国と西国とを守る国家鎮護の寺という意味合いを持った官立寺院でした。

この東寺を桓武天皇のあとに即位した嵯峨天皇は、唐で新しい仏教、密教を学んで帰国した弘法大師空海に託しました。

中世以後の東寺は、後宇多天皇・後醍醐天皇・足利尊氏など、多く権力者の援助を受けて栄えました。


しかし、度重なる火災に遇い、そのたびに再建されてきました。

そのため、東寺には創建当時の建物は残っていませんが、

南大門・金堂・講堂・食堂(じきどう)が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のままです。

毘沙門堂

御影堂の南側にあります。


国宝・兜跋毘沙門天像(現在宝物館に収蔵)はもともと、羅城門の上層に安置されていましたが、

大風で978年に羅城門が倒壊し、食堂に移されました。

この像を安置するために、毘沙門堂は1822年に建立され、1994年修復されました。

毘沙門天は、弘法大師が唐へ行った時に感得されたもので、無量の知恵で学業成就や安産の御利益があります。

弘法さん

弘法大師の月命日である、毎月21日に開かれる市です。

特に、1月の初弘法と12月の終い弘法は多くの人で賑わいます。

境内のいたるところにお店が出て、見て回るだけでも大変なくらいです。

食べ物のほか、衣類、植物など、さまざまなお店があります。

変わったところでは、焼き印のお店もあります。