都七福神の福禄寿は、赤山禅院です。
福禄寿とは?
道教で強く希求される3種の願い、幸福・高禄・長寿の三徳をあたえられたとされ、寿老人とともに南極星の化身とされ、両神は混同されることがあります。
姿は、短身で、背が低く長頭で長いひげをはやし、杖に経巻を結び、鶴を伴っています。

商売繁盛、延寿、健康、除災にご利益があります。
赤山禅院

赤山禅院(せきざんぜんいん)は、平安時代888年に、第三世天台座主 円仁の遺命によって創建された、天台宗総本山 延暦寺の塔頭のひとつです。
慈覚大師 円仁(794年~864年)は、838年、遣唐使船で唐に渡り、苦労の末に天台教学を納めました。
その中国への旅路を安全に守護した赤山大明神に感謝し、赤山禅院を建立することを誓ったとされます。
日本に戻った円仁は天台密教の基礎を築きましたが、赤山禅院の建立は果たせませんでした。
その遺命により、第四世天台座主 安慧(あんね)が赤山禅院を創建したと伝えられています。
京都の表鬼門を護る
794年に開かれた平安京は、「青龍・白虎・朱雀・玄武」の「四神相応」で知られるように、方位を大切にして創られました。
平安時代、陰陽道(おんみょうどう)が、朝廷をはじめ民衆にまで広く信仰されるようになりました。
陰陽道では、北と西は陰、東と南は陽とされます。
その境目である東北と西南は、陰陽が反転するところで、鬼が出入りする忌むべき方角とされ、
東北は表鬼門、西南は裏鬼門と呼ばれます。
赤山禅院は、御所の東北に位置し、また、本尊の赤山大明神(泰山府君)が陰陽道の祖神(おやがみ)とされることから、
表鬼門を守護する方除けのお寺として信仰されるようになりました。
赤山大明神のお札を持ち帰って家に貼ると鬼門除けになるといわれています。
鬼門除けの猿

表鬼門を守護するしるしとして、赤山禅院の拝殿の屋根には、鬼門除けの猿が置かれています。
これは、比叡山を守っている日吉大社の神様の遣いが猿ということに由来しています。
拝殿の屋根の上には、御所の東北角・猿ヶ辻の猿と対応して、右手に御幣(神祭用具)、左手に鈴を持った猿が安置されています。
猿(申)は、鬼門とは反対の方角である西南西を指すことから、邪気を払う力があるとされます。
金網の中にいるのは、かつて夜になると暴れだし、いたずらを繰り返したため閉じこめたのだと言われています。
なお、滋賀県大津市の日吉大社にも鬼門除けの猿が置かれています。
千日回峰行
「千日回峰行」とは千日間、約4万キロにわたって礼拝する修行で、
修行の6年目からは比叡山の峯道に加え、赤山禅院から京都市内を巡礼する「赤山苦行」を行います。
これは、赤山大明神に対して花を供するために、毎日、比叡山中の行者道に倍する山道を高下するものです。
一日の全行程が84キロにも及ぶこの修行は100日間続きます。
代表的な行事
「ぜんそく封じ・へちま加持」があります。
これは古くから、へちまがぜんそくに役立つとされたことに由来するもので、中秋の名月にへちまが供えられ、祈祷が行われます。
また、11月23日には「数珠供養」が行われます。
へちま加持も数珠供養も、千日回峰行を満行した比叡山の大阿闍梨(だいあじゃり/阿闍梨は弟子たちの模範となる高僧の敬称)によって祈祷が行われます。