布袋尊とは?
布袋は七福神の中で唯一実在の人物で、中国の唐末期(9~10世紀)に実在した禅僧契此(?~917)がモデルになっています。
吉凶や天候などを占ったことから、仏教の弥勒菩薩の化身ともいわれています。
この実在した禅僧は、大きくふくれた腹をしており、いつも手に杖を持ち、大きな布袋を背負い、施しを求めて市中を歩いていました。
そして、布施を受けた物は何でも袋の中に入れて歩いたといいます。
この布の袋から布袋という名ついたと考えられます。

背は低く、額や鼻にしわを寄せ、満面に笑みを浮かべた姿は愛嬌があったようで、
しかも、この僧は超能力の持ち主で、雪の中に寝ても少しも濡れず、人の吉凶を占って百発百中だったといわれています。
中国ではこの布袋を本尊に祀る寺院が多く、不良長寿・無病息災・開運・良縁・子宝・夫婦円満・金運の神とされています。
萬福寺

黄檗山萬福寺は、1661年に中国僧、隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師によって、
中和門院(後水尾天皇の母)の別荘跡に創建されました。
本尊は釈迦如来です。
隠元隆琦は中国明朝時代の臨済宗を代表する僧で、中国福建省の黄檗山萬福寺のご住職をされていました。
日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝されました。
宇治の地でお寺を開くにあたり、隠元和尚は寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺」と名付けました。
当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、
明治9年、一宗として独立し「黄檗宗」となりました。
臨済宗、曹洞宗と違い、黄檗宗は、中国的な特徴を色濃く残しているということが挙げられます。
中国明代の形式を伝える伽藍構成や、朝夕のお勤めをはじめ儀式作法や法式・梵唄(黄檗宗独特の節のあるお経)など、
中国寺院で執り行われている仏教儀礼と共通する部分が数多く見られます。

普茶料理

普茶料理(ふちゃりょうり)とは、本宗の開祖隠元禅師が中国から伝えた精進料理で、「普茶」とは「普く(あまねく)大衆と茶を供にする」という意味を示すところから生まれた言葉です。
中国文化の香りがし日本の山野に生まれた自然の産物を調理し、すべての衆が佛恩に応え報いるための料理です。
席に上下の隔たりなく一卓に四人が座して和気藹藹のうちに料理を残さず食するのが普茶の作法です。