先日、ある撮影のお手伝いに、初めてプロのカメラマンさんの撮影スタジオに足を踏み入れました。
テレビなどで観る撮影現場のようで、
バックスクリーンやさまざまなところから当たるライトなど、見るものすべて新しい体験でした。
そこで、1日中、ひっきりなしに撮影をしていたわけですが、それを見ている中で気付いたことがあります。
カメラマンさんは、本当に細かいところへのまでこだわられ、
配置やほんの少しの角度の違いや力の入れ方など、指示されていました。
そして、その場にいる人たちが写真を見ながら、
どうしたらよりよく見えるか、美しく見えるかといった視点で、意見をいいながら、調整しながら、撮影が進みました。
それを見ていて、時間の制約がある中で、
撮れた写真が美しいかどうか、どういう写真を撮りたいか(どういうことにポイントをおいているか)を考えながら、
どう調整するかを瞬時に判断して、修正してみて、また撮影しての繰り返し。
それぞれが感性やセンスといわれるようなものを使いながら、よりよい写真を目指す。
きっと、こういうほんの少しの違いが、写真に表れる、見た人が感じ取る印象の違いになるのだと思います。
こういうのって、AIじゃ難しそうな仕事だなあと思いました。
AIなら、過去の成功した構図の方程式のようなものから導き出すことはできるかもしれません。
でも、新しいものや毎回変化していくもの、センスや感覚的なところに対しては
やっぱり人間の力が必要となる場面ではないかと思います。
美意識、センス、感性というものはどう養われていくのか、今回とても感心を持ちました。
とてもあいまいなもの、計りにくい力ですが、そういう力を磨いていくことがとても大切だと思います。
きっと、いろんな経験、毎日感じることなどがミックスされて出来上がるものだと思いますが、
意識することで、力が高まりやすくなる方法があれば、いいなと思います。
きっと、どこかにヒントがあると思うので、
そういう視点で、日常を、京都を見まわしてみようと思います。