6月の京都のお菓子といえば、水無月です。

白いういろうの上面に甘く煮た小豆をのせ、三角形に切り分けたものです。
京都では夏越祓(なごしのはらえ)が行われる6月30日に、1年の残り半分の無病息災を祈念して食べる風習があります。
どうして、夏越の祓に、水無月を食べるのか?
まずは、夏越の祓とはどんな行事なのか?、そして、水無月が生まれた背景とは?、をご紹介します。
1年の折り返しの神事、夏越の祓
京都では1年の折り返しにあたる、6月30日に、半年の罪や穢れを祓い、正月から半年を無事に過ごせた感謝とともに、
残り半年の無病息災を祈願する神事「夏越祓」が行われます。
現代では、白い紙を人形に切ったものに、名前や年齢を書き、息を吹きかけ、体をさすって、枕の下に一晩置きます。
病気や心配事、身の穢れを移して身代わりになってもらい、お祓いした後、川に流します。
川は穢れを祓う力があって、流れで浄められるそうです。
また、神社では茅の輪くぐりも行われます。

イネ科でススキのような茅萱(ちがや)でつくられた大きな輪をくぐって回り、穢れを祓います。
これは、蘇民将来の厄除け伝説にあやかったもので、
スサノオノミコトの助言を受け、茅の輪を身につけていたことで厄病を逃れ、子孫まで繁栄したことから、
厄払いの意味をこめ茅の輪くぐりがおこなわれます。
水無月が生まれたのは、平安時代の「氷室」から
氷室とは、平安時代に、氷を保管しておいた地下保冷倉庫のことです。
氷室は都より気温の低い山奥に、周囲約10m、深さ約3mの穴を掘ってつくられました。
その中には、茅などの草を敷いて、小屋をつくり、そこに冬の間に氷の張った池から氷塊を切り出して保管していました。
旧暦6月1日の「氷の節句」の日に、氷室から氷を切り出して食し、暑気払いをする宮中の風習がありました。
都の貴族たちは、氷室で貯蔵した氷塊を宮中に運ばせ、涼をとって、夏をしのぎました。
平安時代には、京都に氷室が6ヶ所あったようで、北区大宮西賀茂氷室町の氷室跡をみることができます。

夏の間、氷室から宮中へ運ばれてきた氷の量は1日約500~800kgで、年間約80tになります。
その作業を約800人で行い、氷室から御所までの約10㎞を3時間で運んだそうです。
このような氷は、とても貴重なもので、庶民の口には口入らない、高嶺の花でした。
そこで、貴族が食べる氷の代わりに、小麦粉でだんごを作って三角に切り、氷に見立てて食べました。
気持ちだけでも涼しくしようという思いの詰まった、お菓子が水無月のはじまり。
これが、夏越祓と結びつき、水無月を食べる習慣になりました。
今の水無月は、氷を三角形に切った白いういろうであらわすとともに、
四角を半分にしたことで1年の半分を示しているともいわれています。
また、小豆の赤い色には厄除けの意味があります。
6月末は、1年のちょうど半分の区切りです。
神社に出かけて茅の輪くぐりをしたり、水無月を食べてみてはいかがでしょうか。