皇室ゆかりの京都~平安遷都からの守り神 上御霊神社~


平成から令和への時代が変わるこの時期に、皇室ゆかりの京都をご紹介します。

今回は、上御霊神社(かみごりょうじんじゃ、正しくは御霊神社)です。

下御霊神社と区別するために、上御霊神社と呼ばれてます。

この神社の由来についてはいくつか説があるようですが、そのひとつによると、

平安京を遷都した桓武天皇が早良親王らの怨霊を鎮めるためにつくられました。

この早良親王は、平安京の前の都長岡京への遷都の際、桓武天皇の幕僚が暗殺され、

その陰謀をたくらんだとして、天皇の皇太子であった早良親王は太子の位をはく奪されます。

早良親王は無実を主張しつづけ、飲食を一切拒否し、その結果亡くなってしまいます。死後、亡骸を淡路島に流されます。

このあと、長岡京では、天皇の生母や皇后が次々と死去したり、洪水・大雨・疫病の流行が起こり、

早良親王らの祟りではないかといわれるようになります。

そのため、平安京に遷都する際に、これらの霊を弔うために、この神社がつくられました。

皇居御産土神として、皇室の御崇敬が篤く、
平成14年には、天皇陛下になられる皇太子徳仁親王殿下も行啓されています。

江戸時代の楼門、その前にある鳥居には大きく菊の御紋が入っています。

御霊祭は毎年5月18日に行われていましたが、御代替わりの年であることから、

昭和40年以降途絶えていた、5月1日の神幸祭が54年ぶりに復活し、5月18日に還幸祭が行われます。

その時に使われる御神輿も置いてあります。

ちなみに、御霊祭は京都洛中において、最も古いお祭りといわれています。

この神社の境内で、応仁の乱の前哨戦となる決闘が行われ、応仁の乱発端の地といわれ、石碑があります。

その石碑の南側には、江戸初期に天皇から寄進された牛車が保管されている建物もあります。

現存している牛車は葵祭に使われる京都御所ものもと、この神社の御霊祭に使われるもの、2台のみとのことです。

写真をみると、ちゃんと黒い牛が牛車をひくようです。

そして、最後は門前菓子として有名な唐板。

このお菓子の由緒は古く、863年疫病が流行り、悪霊退散のための御霊会が開かれた際に、

健康を祈る厄除けせんべいとして振る舞われたのが起源で、水田玉雲堂で500年あまり守り伝えられています。

せんべいの材料は、小麦粉・上白糖・塩・卵で、これらを混ぜて、こね、薄くのばして短冊形に切り、両面を焼いた歯触りのいいお菓子です。

明治時代までは皇室に皇子が誕生するたびに、この神社にお参りし、お土産にしたといわれています。

神社は、上京区・北区の氏神様とされており、地元に愛されている雰囲気があります。

さまざまなところに、菊の御紋があり、皇室とのゆかりの深さも感じる神社です。

【上御霊神社(御霊神社)】

御利益:厄除・こころしずめ・家内安全・家業繁栄・安産 ・学業成就・書道上達

住所:京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町495番地

アクセス:地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅徒歩3分
     市バス37系統「出雲路俵町」下車 西へ400m