今回から、具体的に、きもの学・京都の講座でのお話について、書いていきます。
まずは、わたしが今回一番新鮮で興味深かった、
明治以降の皇室の服装についての変遷のお話をされた、彬子女王殿下の「皇室のキモノ」、
そして、皇室の装束の歴史や変遷などをお話された、学習院大学の田中先生の「皇室の儀式と装束」からご紹介します。
彬子女王殿下の「皇室のキモノ」のお話
明治時代の洋装化、大正・昭和の時代の服装について、時代の変遷とともに、紹介されました。
特に、明治期に洋装が取り入れられて以降、宮中では着物が影の品となっていたこともあり、
最近着物を着られる機会が増えてきたということは驚きでした。
明治維新は、政治制度だけでなく、服装も洋装が奨励されていく中で、西洋から招かれた外国人たちが反対する日記など興味深い記述でした。
その他に、宮中に出仕する女官の日記からも、その時の様子が想像できました。
洋装化されても、できるだけ、日本の文様を入れたり、国産化を奨励されていたり、
皇太后、皇后陛下が率先して取り入れていくことで推し進められていたことなど、
それぞれの時代に合わせて苦心されてきたことがわかりました。
また、戦後、服装について規定されていた法律が廃止されたことにより、
柔軟になり、着物やスーツなども取り入れられるようになりました。
皇室の方が着られるものは、品があって、美しいと思っていたのですが、
そこまでに至る歴史において、時代の情勢の影響が想像以上に大きく、
洋装・和装、それぞれの中でも、シーンによって細かく規定されていたことを思うと、服装の及ぼす影響力の大きさを感じました。
学習院大学の田中先生の「皇室の儀式と装束」
一番印象的だったのは、有職織物を作られている喜多川家、
その先代が一般の人にも現物を触ってみてほしいとの思いから作られた『服飾史図会』を実際に見て、触って、
10月の即位の大礼で天皇陛下がお召しになる装束と同じ布を触ることができたことです。
他にもさまざまなシーンで用いられる装束の布を見て、触ってみると、
それぞれのハリや柔らかさ、文様など、美しく、丁寧で繊細な織物に感動しました。
装束だけでなく、文化の継承には、技術・財力・知識が必要で、
例えば、京都の最後の戦争といわれる応仁の乱では、職人も地方に逃げ、廃れてしまいました。
そして、徳川太平の時代には、装束を用いる国家的行事がなされることで復活していったりと、
3つの要素がどれも欠けることなく必要であることがよくわかりました。
幕末から明治にかけては、装束の位置づけが大きく変化し、洋装化が進みます。
しかし、そんな中でも、西洋の王室儀礼において、文化伝統が継承されていることにならい、
装束を用いる儀式と場は残されました。
そして、今も続けられています。
装束の着装の仕方にも、2流派(山科流と高倉流)があったり、
同じ黒い装束でも、身分が上の方が動物の文様、臣下が植物の文様であったりと、
装束を細かく見ていくと、それぞれに意味があり、知らなかった世界に少し興味がわきました。
10月の儀式の際の装束も、注目してみようと思います。